トーマス・エジソンのアイスバーグ考察

【アイスバーグポイント】
一日のほとんどの時間を研究に費やすことができるほどの”不屈”の精神を持っており、集中力をキープすることができる人物でした。
16歳という若さで花形職業である電信技師を志したり、その後の生活に不可欠な蓄音機や電話、白熱灯を発明したり、時代の流れを読みまた”先見の明”がありました。

 

【経歴】
16歳で当時の花形職業であった電信技師になる。電信技師の仕事で得た収入をつぎ込んで最新の科学知識を学び続けていた。その結果電信技師としても腕を磨き、電信コンテストで優勝するほどに。
のちに株式相場表示機「ティッカー」を発明し、4万ドルという高額で買い取られると、売却益を元手に研究所と工場をニュージャージー州のメンローパークに設立。本格的に発明家に転身する。蓄音機、電話、白熱灯などの輝かしい発明を成功させる。

晩年には鉱山経営を試みるも失敗。研究所に篭り死者との交信の実験を続けながら生涯を終える。

 

【生い立ち】
製材所の経営者である父と元教師の母の元にオハイオ州にて誕生。エジソンは小学校時代ADHDを患っていたと言われており、入学3ヶ月で退学させられる。
その後は元教師である母親から教育を受けることに、好奇心が旺盛すぎるエジソンの問いに納得するまで説明する個人授業はのちに影響を及ぼしたと言われる。
地下室にエジソン専用の実験室が用意され、薬品類が買い与えられ、様々な実験を繰り返す。

12歳になると列車内の新聞の売り子として働き始める。列車内に実験室を作り、暇な時には実験をしたり車内新聞を発行したり、時間を有効的に使っていた。
15歳の頃から電信技術を学び始め、電信技師としての道を進むことに。

 

【名言】
「私は失敗したことがない。
ただ1万通りの、うまくいかない方法を見つけただけだ。」

「ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。
勝負はそこからだというのに。」

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