吉田松陰のアイスバーグ考察

【アイスバーグポイント】
19歳という若さで明倫館の独立師範になっていて、これは松蔭が”学問好き”で”知識が豊富”だったからでしょう。
松下村塾では高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文などのちに活躍する人材を育成していたことから”人材発掘力”に長けていました。また松蔭は”平等思想”の持ち主で、松下村塾はどんな身分の人でも入塾することができました。

 

【経歴】
幕末の思想家・教育者・兵学者。脱藩し、下田の米艦に搭乗を図るも失敗。これを自白し投獄される。
その後に生家に幽閉されるが、そこで松下村塾を開き高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋など多くの門人を育てた。
討幕論を唱え投獄され、その際に老中間部詮勝暗殺を画策していたことを自白し、安政の大獄にて刑死する。

 

【生い立ち】
長州藩の下級武士・杉百合之助の二男として誕生。下級武士の家庭で育ったため農業中心の生活をしており、農作業の中で松陰は武士としての心構えや尊王の精神を教えられた。
叔父の元へ養子にいくも、叔父が急死したため松陰は6歳にして家督を継ぎ、藩校明倫館の兵学師範二なる宿命を背負う。その際に松陰の兵学教育に当たったのが松下村塾を開設した玉木文之助である。厳しい教育を経て11歳の時に藩主毛利敬親の前で講義をし、その出来の良さから松陰の名は萩城下に知れ渡った。
19歳で玉木文之助の後見人を離れ、藩校・明倫館の独立師範に就任。

 

【名言】
「道を志した者が
不幸や罪になることを恐れ、
将来につけを残すようなことを
黙ってただ受け入れるなどは、
君子の学問を学ぶ者がすることではない」

「一日一字を記さば
一年にして三百六十字を得、
一夜一時を怠らば、
百歳の間三万六千時を失う。」

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