高杉晋作のアイスバーグ考察

【アイスバーグポイント】
・尊王攘夷運動の際に、突拍子もない発言をしたため藩の要人が暴挙を止めるべく上海渡航を進めたほど破天荒で気性が荒かったと言います。
・指揮能力と交渉力がとても高く、藩の保守派に投獄されたにもかかわらず、藩から交渉役を依頼されるほどでした。

 

【経歴】
尊王攘夷運動が活発になる中、暴走を心配された晋作は上海渡航を促され上海へ。清国の惨状を見て日本に対し危機感を覚え、幕府打倒を決意。しかし、意見が聞き入れられず、英国公使館焼き討ち事件に始まる、攘夷運動を巻き起こす。
下関での4国連合軍隊による報復をきっかけに奇兵隊を立ち上げる。しかし、奇兵隊をよく思わない武士の対立が始まり、晋作は入牢となる。第一次長州征伐が開始されると、牢獄から連合軍隊との交渉役として呼ばれる。そこで長州藩へ賠償金と彦島の租借要求を跳ね除けた。
長州藩が幕府に降伏すると、福岡に逃亡し、下関で決起。下関を開港しようとし、命を狙われたため逃亡したが、桂小五郎の帰国により長州藩に戻る。第二次長州征伐では海軍総督につき、約10万の幕府群を打ち破った。

 

【生い立ち】
上級藩士の長男に生まれ、高杉家の一人息子として自由に育てられる。14歳で明倫館、19歳で松下村塾で吉田松陰の元、久坂玄瑞らと共に学ぶ。その後藩命で江戸へ行き、昌平坂学問所で学ぶも、「江戸の学問は面白くない」と久坂玄瑞に当てた手紙にあったという。

 

【名言】
「少年の頃、読んだ本に
『学問を成すなら世間から利口と思われる人になるな。世間から愚者と思われる人になれ。』
とあったので世間から愚者と思われる人になろうと僕は願った。」

「おもしろき
こともなき世を
おもしろく」

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