マリ・キュリーのアイスバーグ考察

【アイスバーグポイント】
・特許を取れば巨額の富が得られたであろうラジウムの濃縮法をあえて特許を取らずに公開するという慈悲深い人物でした。
・かなりの努力家で、研究ばかりしていた学生時代はお金がなくまともに食事を取らない日々が続いたと言います。その中で物理学士と数学学士をとったのだからその忍耐力には驚かされます。

 

【経歴】
放射線の研究で、1903年、1911年のノーベル化学賞を受賞。第一次世界大戦中はX線カーを考案して大部隊を作り傷病兵の弾丸抽出手術に活用。
パリ大学初の女性教授職に就任した。ラジウムによるがん治療に尽力した。放射線と言う用語を生み出した人物。

 

【生い立ち】
ポーランドにて数学・物理の科学者である父と女学校の校長を勤める母の元に誕生。6歳の頃父親が制限されていた講義を行なっていたことが発覚し食と住居を失う。さらに母が体を壊し家は困窮状態に、姉が亡くなり、のちに結核で母が他界。鬱状態に陥り、不可知論の考えを持つようになる。
中学を優秀な成績で卒業するも、女性には進学の道がなく、非合法の大学で学ぶ機会をえる。家庭教師をする傍らで、農工博物館で科学研究の技能習得に努めた。

パリに移り住み、女性でも科学教育を受講できる数少ない大学で物理、化学、数学を学ぶ。物理学の学士資格を得る。フランス工業振興協会の受託研究を行い、収入を得るようになるが、受託した研究を行う場所に困っていると、紹介でピエール・キュリーを紹介される。さらに数学の学士資格を取得。一度ポーランドに戻るが働き口が見つからなかったこともありパリに戻りピエール・キュリーと婚約。

 

【名言】
「この発明は、病気の治療に使えるものですよ。
病人の足元に付け込むなんて、私にはできません。」

「全ての人には、幸せに生きる使命があります。
だから、すべての人を幸せにする、義務があります。」

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